エージェント型AIは、情報を提示するだけでなく、目的に応じて計画を立て、企業データや外部ツールを利用しながら、複数のタスクを実行できるようになりつつあります。その一方で、AIエージェントに与える権限が広がるほど、意図しない動作、情報への不適切なアクセス、責任の所在、説明可能性など、新たなリスクへの対応が重要になります。
本記事は、TCSがグローバルで公開した「Make agentic AI enterprise-ready through strong governance」をもとに、日本語版として構成したものです。エージェント型AIの本格導入に必要となるガバナンスの構成要素、技術的なガードレール、人による監督、組織体制、データガバナンス、導入時の指針について解説します。
さらに、日本企業がガバナンスの原則を実際の業務運用へ落とし込む際の参考となるよう、日本TCSのAI専門家による解説を加えました。組織内の責任分担、全社で共通利用できる統制基盤、人とAIエージェントの役割分担という3つの視点から、ガバナンスを実効性のある仕組みとして機能させる方法を考察します。
エージェント型AIは、自律的に意思決定を行い、タスクを実行できるシステムです。この自律性は企業に大きな可能性をもたらす一方で、従来のAIとは異なる課題ももたらします(図1)。
エージェント型AIの導入における主な課題は、次のとおりです。
これらの課題に対応するには、システムの複雑性とリスクを管理し、AIエージェントの動作を組織の目標に沿ったものにするガバナンスが欠かせません。
また、EUのAI法(European Union Artificial Intelligence Act)をはじめとする規制では、責任あるAIの利用に関する基準が定められています。
日本のAI専門家の視点
日本で事業を展開する企業にとって、現在の課題は、責任あるAIの原則が存在するかどうかではありません。AIシステムが計画を立て、ツールを利用し、企業内のナレッジへアクセスし、複数の工程を実行する状況でも機能し続ける統制へと、その原則を落とし込めるかどうかにあります。
日本のAI政策は、イノベーションと信頼の両立をますます重視する方向に進んでいます。経済産業省と総務省による「AI事業者ガイドライン」はAI開発者、AI提供者、AI利用者が取り組むべき事項を示しています。また、「第Ⅱ期人工知能基本計画」では、制度、技術、組織全体のマネジメントを統合した「責任あるアジャイル・ガバナンス」が掲げられています。
AIエージェントが組織やテクノロジーの境界を越えて動作すると、責任の所在が曖昧になりがちです。一つのビジネス成果に、基盤モデル、情報検索の仕組み、企業データ、外部ツール、ワークフローエンジン、人による承認など複数の要因が関与するためです。
そのため、重要なAIエージェントとユースケースには次の事項を定める必要があります。
運用ガバナンスは、AIエージェントとともに働く人にとって理解しやすいものでなければなりません。統制は、AIエージェントが自らの役割をどう説明するか、提案の根拠や不確実性をどう示すか、どの段階で承認を求めるか、エスカレーションやオーバーライド(人による判断の上書き)をどのように可能にするかといった点を反映する必要があります。
つまり、人とAIエージェントのやり取りは、実際の業務フロー、利用者の責任、定着に向けたニーズを踏まえて設計する必要があります。
ガバナンスは、リスクに応じて設計します。実際の運用を監視し、そこから得た知見を統制へ反映しながら適用範囲を段階的に広げていくことが重要です。
企業でエージェント型AIを本格的に利用するには、ガバナンスを次の6つの要素で構成する必要があります(図2)。
これらを組み合わせることで、ポリシー、統制、組織・人材、コンプライアンスを一つの運用体系として機能させることができます。
エージェント型AIのガバナンスフレームワークは、AIの利用における倫理上の境界と、法令・社内規定への適合要件を定めるものです。倫理原則は、責任あるAIの判断と動作を導きます。また、EUのAI法や一般データ保護規則(GDPR: General Data Protection Regulation)など、適用される法規制に対応することで、AIの利用とデータ保護への取り組みを強化します。
ガバナンスを実際の運用で機能させるには、方針を、AIシステムや関連する技術基盤で適用・検証できるルールへ落とし込む必要があります。
リスク評価では、バイアス、セキュリティ上の脆弱性、想定外の影響などを早期に特定します。そのうえで、発生可能性と影響度を評価し、リスクの水準に応じた対策を講じます。
さらに、AIエージェントを登録・管理する仕組みを整えることで、複数プロジェクトにおける導入状況、利用状況、リスクを一元的に把握できるようになります。
日本のAI専門家の視点
ガバナンスを実際の運用で機能させるには、定期的なレビューだけでなく、全社で共通利用できる統制基盤、いわゆるコントロールレイヤーへ組み込むことが重要です。
AIプロジェクトごとに、ID管理、ポリシー、ログ、モデルへのアクセス、回答の根拠付け、コスト管理などを個別に構築するのではなく、アプリケーションやAIエージェントが継承できる共通機能として整備します。
この共通基盤には、主に次の機能が求められます。
特定のモデルに依存しないモデルアグノスティックな設計を採用することで、アプリケーション、企業のナレッジ、モデル、業務ワークフローを、共通のアクセス管理、安全性、可観測性、コスト管理のもとで連携させることができます。
ただし、共通の統制機能を用意するだけでは十分ではありません。実際に価値を生み出すには、人がどのように判断し、業務を進めるかに合わせて、統制を利用者の体験へ落とし込む必要があります。
体験設計や行動設計によって、役割ごとに必要な情報、操作の流れ、承認手順、説明の示し方、問題発生時の復旧手順を設計します。これにより、ガバナンスは利用者にとって、明確な選択肢、適切な制限、理解しやすいフィードバックとして機能します。
目的は、個別に進められてきたAI投資を、適切に統制された全社的な能力へと発展させることです。これにより、統制に関する重複作業を減らし、実験から本番運用へ移行するための再現可能な仕組みを構築することができます。
エージェント型AIのガバナンスを確立するうえで重要なのが、ヒューマン・イン・ザ・ループ、継続的なモニタリング、自律性の制御と説明可能性を支える技術的な仕組みを導入することです。
日本のAI専門家の視点
人による監督は、すべての処理に同じ承認手順を追加するのではなく、業務のリスクとAIエージェントの権限に応じた運用モデルとして設計すべきです。
企業はまず、信頼できる情報を検索し、取るべき行動を提案するAIエージェントから始めます。次に、低リスクのタスクについて、あらかじめ定めた範囲内での実行を認めます。運用結果によって安全性と有効性を確認できた場合に、より広い権限を与えます。
目指すべきは、自律性の最大化ではありません。業務ごとに、AIエージェントの自律性、人による判断、ビジネス価値、リスクの適切なバランスを取ることです。
AIエージェントの操作は、リスクに応じて次のように分類できます。
人が介入する仕組みを設計する際は、次の事項を明確にします。
人による介入ポイントが有効に機能するには、確認担当者が、AIエージェントの提案内容、介入が必要な理由、提案を裏付ける情報、承認または却下した後に実行される処理を理解できる必要があります。
こうした仕組みは、全社展開の前に、実際の業務を代表するワークフローで検証することが重要です。これにより、統制、人への引き継ぎ、責任分担が実務で機能するかを評価できます。
これらの仕組みを組み合わせることで、企業規模でAIを安全に運用できるようになります。
効果的なガバナンスの実現するため、エンタープライズAIオフィスの設置が推奨されます(図3)。
エンタープライズAIオフィスは、AIエグゼクティブステアリングコミッティおよびリーダー層によって統括されます。その配下には、AI統制オフィス、設計オフィス、コンプライアンスオフィス、責任あるAIオフィスが設置され、それぞれガバナンス機能を担います。
これらのガバナンス機能に加え、標準作業手順書(SOP)、ガイドライン、ツール群、AIリテラシー、業界パートナーシップなど、AI活用を支える中核的な基盤を整備します。
運用機能は、プラットフォームの有効化、オーケストレーション(DataOps、MLOps、LLMOps)、ファインチューニング、技術検証(PoT)やパイロットによる検証などを担い、AI活用を推進します。
重要なのは、意思決定を行う担当者、監督責任、部門間の連携、問題発生時の対応経路を明確にすることです。
主な役割
エージェント型AIが業務に定着するには、利用者からの信頼が欠かせません。信頼は、責任ある導入、適切なガバナンス、AIリテラシーの向上、継続的な改善を通じて築かれます。
信頼を支える重要な基盤の一つが、強固なデータガバナンスです。データガバナンスによって、AIシステムが利用するデータの完全性、公平性、法令・社内規定への適合を確保します。
エージェント型AIにおけるデータガバナンスは、「データ品質」「データ保護」「データバイアス管理」「規制遵守」の4つの主要な柱によって支えられています(図4)。
データ品質を厳格にチェックすることで、AIエージェントが利用するデータの正確性と信頼性を確保します。暗号化、アクセス制御、匿名化といったデータ保護対策を講じ、機密情報を保護します。
また、学習データに含まれるバイアスへ適切に対処することで、不公平な結果や特定の個人・集団に不利益を及ぼす結果が生じるリスクを抑えます。さらに、規制を遵守し、世界各国・地域のデータ保護基準に適合した運用を確保します。
加えて、AIリテラシープログラムとチェンジマネジメントを通じて、AI戦略の不明確さ、人材・組織の準備不足、意思決定の透明性欠如といった課題に対処します。
モニタリング、利用者からのフィードバック、インシデント対応、規制動向の継続的な把握を通じて、得られた知見を運用方法と統制の改善へ反映することも重要です。
エージェント型AIのガバナンスを成功させるためには、セキュリティ、プライバシー、モニタリングに関する統制を実際のシステムと運用プロセスに組み込むことが重要です。
基本方針として、AIエージェントにはまず読み取りを中心とした権限を与え、書き込みや変更操作は必要最小限に制限する「read first, write rarely」の考え方が有効です。
データ定義言語(DDL)による無制限の操作、テナントをまたぐアクセス、個人を特定できる情報(PII)への直接アクセスなど、高リスクな操作を制限します。
また、最小権限の原則に基づき、ロールベースおよび属性ベースのアクセス制御を組み合わせます。多層型のセキュリティモデルには、主に次の要素が含まれます。
これらの統制によって、AIエージェントの開発、検証、導入、変更、停止に至るライフサイクル全体を可視化し、エージェント型AIを安全かつコンプライアンスに準拠した形で拡張・展開できるようになります。